「私が士官学校に入ったのは今の君と同じ、15の時だったよ」
いつものように数ヶ月に一度の旅の報告を兼ねて執務室を訪れた俺の話しを黙って聞いていた大佐は、
報告が終わるとそんなふうに切り出した。
自分のことを滅多に口にはなさらないのよ、と中尉が一時間後、部屋を出た俺に向かって言ったひとことが
しばらく心に残った。話の途中、中尉はいい香りのする紅茶を俺と大佐の為に淹れてくれた。
カップに口付けた大佐が『おっ…?』っという声にならない驚きを見せた時、中尉は小さくつぶやいた
「私物です」
「いいのか?味の分からない無骨な男達に。もったいないぞ」
「一人分だけ淹れるより香りが立つんです、大きなポットですから」
「鋼の、良かったな。君は中尉に好かれている」
中尉が居ると大佐とふたりきりの硬い空気が柔らかくなる。滅多に笑わない中尉の唇がいたずらっぽく微笑
んだような気がした。
「それで?なんで軍隊に入ったんだよ。やっぱり、金のため?」
俺がそんなふうに何気なく口にしたひと言が大佐を面食らわせたらしい。きょとんとした後、くっくっく…と笑い
出した。
「…苦労してるなぁ、鋼の。それもあるが、私は養子なんだよ。早くに家を出るのは当然だろう?そして、その
家がたまたまその街の錬金術師だった」
「昔はどの街にも錬金術師が居たんだろ?」
「そうだ。私の義父は街で医師をしていてね、それで師匠という意味も込めて私はいつも先生と呼んでいた」
するっと流されたけど両親は…?どうしたんだろう。
生きてるの?亡くなったの?自分にどうすることも出来ない運命を、どう思ってる…?
そういうことは知り合ってからどれぐらいの期間を置いて、どういうタイミングで訊くべきなんだろう。
俺は大佐との距離感をまだ、掴めないでいる。
「家のオヤジも錬金術師だったんだろうけど自分の研究に没頭してるか旅に出てるかだったから、どうやっ
て表向き、稼いでいたのか今でもよく分かんないや」
「ホーエンハイムの著作も読んだことがある」
「俺も読んだよ。それからいろんな錬金術の文献、いつの時代のだか分からない古い物も結構あった」
「私が士官学校にいた頃書いたレポートでもホーエンハイムは手に入れたんだろうか。君から手紙が届い
たからには、彼の方は私を知っていたのだろうし」
「軍人がそのなかにいるとは思わなかったよ。ただ母さんが死んだことをオヤジに知らせたくて、生きてるん
だか死んでるんだか知らないけど、置いていった住所録の宛先に片っ端から手紙を出した」
「君の手紙はセントラルにあった士官学校の寄宿舎跡から、最初の一人暮らしをしていたアパート、イシュ
バールに行く前に住んでいた官舎を経て、ようやく東方司令部に届いたんだよ。
君が差し出してから半年過ぎていた」
ヴァン・ホーエンハイムの息子でエドワード・エルリックといいます。
父さんを知っていますか?
母さんが死にました。
父さんがそちらを訪ねたらリゼンブールへ帰ってくるように伝えてください。
「来てくれたのは大佐だけだった」
「私だってイシュバールで死んでいたかもしれない。そうしたら今、君は…」
「野たれ死にしてたかもね」
大佐の横顔は特に同情を見せなかった。いい、それでいい。
「君の錬金術はホーエンハイムから?」
「見よう見まねと書斎の本からさ。手取り足取りなんてことは無かったよ」
「私の義父は割と過保護でね、基礎化学に造詣が深かったんだがそれを徹底的にたたき込まれた。自然学
という地球内部の地下世界に対する詩的とも言える科学的思想は、今から300年ほど前に大きく花開いた。
地動説から天動説への移行があっても、地球内部には地下世界があってそれは錬成陣を使うことによって
こちらの世界とエネルギーを相互に行き来することが出来るとね。
錬成陣の円形はこの時の思想としての地球内部、そのものの形を継承していると思われる」
「知ってる!それ円を人が支えてるんだよね?親父もその本持ってた。300年も前の本なんだ」
「本当にあるのかもしれないなぁ。地下の国が」
「あるんじゃないの?錬金術の基本は信じることだから」
「…そうだったな。君の言う通りだ」
その低い声は素直に俺の心に入ってくる。
大佐は会話が途切れると思い出したように机の上の書類を眺めていた。
「大佐、それだけの知識があるなら医者か学者になれば良かったじゃないか」
呼びかけるとまた顔を上げて俺を見る。
「その学者になりたかったんだが。はは…私はこう見えても平和主義者だぞ」
「それは信じない」
「純粋に自然科学と錬金術の世界に魅了されていたからそれを学ぶのはとても楽しかったよ。私が好んだ
のは水の三態かな、蒸気は機関車の動力になるね。温められた空気は上昇していくとか簡単なことだけど
すごく不思議だっただろ?どうして風が吹くの?雷はどうして光るのかとか。うるさい子供だったろうな」
「お義父さん、ちゃんと答えてくれたんだね」
大佐は懐かしそうに頷いた。
「常温では無色透明の粘稠性の液体で、味は甘く灼熱感があり、衝撃により爆発するもの。なんだか分か
るかい?」
「nitroglycerin」
「正解。心臓の悪い患者に投与するから家にも置いてあったんだが…」
「発火点は270℃だったっけ?」
「そうだ。どんな硬い物質でも吹っ飛ばせる」
なるほど。
「生き生きしてるなぁ。大佐の原点が分かったような気がする」
「分かるかい?錬金術でそれが出来ないだろうかと考えるのはやはり子供の発想なんだろうと思わないか?」
「恐るべし子供の直感と実行力、だよな」
「液体は気化する。水のようにね」
「成分を練成して、空気から水素だけを取り出して圧縮するとかそんな感じ?イメージは」
「その練成を自分のものに出来たら世界も手に入れられるんじゃないかと思ったよ。そうしたら、戦場で死ん
だ父親とその後を追った母親の敵が取れるんじゃないかとね。
今にして思えば『何に?』という疑問を自分にぶつけなかったのは、やはり子供だったから…と言えるがね」
暗に俺のことを言ってるような気がして、カッ…っと身体が一瞬熱くなった。
「義父は軍隊に入ると進路を決めた私に理由は聞かなかった」
それに答える言葉が見つからなかった俺がしばらく無言でいると、サラサラと書類にサインする音が響いて
きた。大佐は机から顔をあげずに、これからは報告のためにもっと顔を出すように、イヤなら旅の話でも聞か
せて欲しいと付け加えた。それを聞いた俺はしばらくセントラルに居るから賢者の石について参考になりそう
な錬金術師を紹介してくれと初めて大佐に頼みごとをしていた。大佐はタッカーの名をあげた。
なんでお互いの父親の話になったんだろう…? 俺は父親の愛情を知らない。覚えているのは母親の無償の
愛だけ。それはいろんなことが俺の周りで起き始める直前の平和なひとときだった。
大佐が俺に庇護を与えてくれるのは父親代わりとしての愛情、それだと思っていい。そういうことなのか?
…大佐。でも俺は。
大佐は残った紅茶を飲み終えると俺にこう言った。
「さあ行きたまえ。これで君にこの世に残った僅かばかりの愛について語れることはもう何もない」
『 Each time I look
at you I'm limp as a grovel and feeling like someone in love 』
(あんたを見るたび俺は無力に感じる それはまるで恋する人のようじゃないか)
ende

AUTHOR ももさん